勝山朝日新聞
この写真展は、「はたや記念館 ゆめおーれ勝山」にて2010年1月末から2月中旬頃まで開催されたものです。
ただ今社内と、WEB上にて展示しております。いつでもご覧いただけます。お気軽にお寄りください。
写真は古いフィルムで保管しており、弊社のスキャナーによってデジタル化することは不可能、また写真屋さんに相談しても古すぎて現像は不可能と言われました。これらの写真は元勝山市教育長山範男氏が、独自の方法でスキャンし、デジタル化してくださったものです。
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- 七夕まつり
- 七夕は今も昔のとおり盛んです。殊に勝山町は年々盛んです。でも新暦の七夕はうつりません。
村部は旧暦でやってくれます。黍の立つ戸口にまつる七夕竹はゆかしいものです。七夕は繁華街よりも裏通りや遊女屋のはまた趣があってなつかしいものです。写真は新暦7月7日勝山町下元禄神明神社のへの裏通りにてうつす。
昭和27年8月10日 福井郷土通信
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- 田植えまちまち
- 寫眞は北郷村妙金島の遅れ田植……。
小母さん等腰が痛ふないんですか……
アハハ…何が腰が痛からうやいの…もう歳もいつたし娘さんぢゃないから…、
と中の一番の年増さんが記者をからかふ……紺かすりに赤い腰紐白手ぬぐいの頬かむりの花嫁さん苗桶を背に配給係り、ワクマワシの桝目に植え進む早苗水は澄んで鏡の如く早乙女の影を宿し、畦の樹影をうつす。
昭和16年6月29日福井新聞郷土版
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- 街頭に氾濫するラジオ体操 本町通り
- 健康増進はまず足許の家庭体操からと町に体育増進委員会をつくり全町二十数カ所に指導員を設け街頭、広場に集団しての国民体操…はじめはいつもの常連であったが町常会の実践要項の劈頭に掲げて全町民に励行を呼号してからはたちまち海嘯の如き勢いで押しひろまり、老いも若きも、嫁も姑も令嬢も下男も、おまけに朝寝の都、柳界の姐さんたちまで街頭に飛び出し、ラジオを流れる体操号令の旋律に合わせイチニイサン……と地を蹴り天をば抱擁せんばかりの威気とその態勢は、誠に非常時に描く郷土、勝山の新体制毎朝六時のラジオ時間の街頭
昭和15年9月12日 大野朝日新聞
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- 草摘み
- 寒い冬を送った九頭竜川の堤上です。枯草の中に交つて蓬生草(ヨモギ)がちよつぴり伸びてきました。二人の少女は懸命に草摘みをやつています、お母さんから「せつく(節句)」のお餅をついてあげますからとの声と共にこの堤上へかけつけたのでした。
昭和31年4月20日 福井郷土通信
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- 銃後の姿 つるし柿
- 渋柿の皮をむき細い縄に十ずつつらぬいて聯となし、此を乾燥しているうちに黒んで来ると口にひっつくほどの甘みを持つのである。串柿は縄のかわりに串にし軒端に干すのである。
写真は西俣部落にある道場寺、冬日のさす一面に無心にツルシガキが干されている。傍の軒端には、将に応召届のすんだ喚鐘がつられいずれも決戦新年の初日を拝むことであろう。
昭和17年1月1日 福井新聞郷土版
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- 勝山商工祭の競演
- 新発足した勝山商工会では十一月三日、四日の両日に亘り賑やかな商工祭を繰りひろげた。この多彩な仮装行列は二十余年前の御大典奉祝このかたの盛儀で会長山岸伊之助氏は珍しくシルクハットフロックの洋装で参加し祝賀行列は華々しく蓋明けした。なにがさて北陸の江戸っ子をもって自任する勝山町の各会社組合が、奇想を競っての演出物は勝山兄弟の変装音楽隊、松文の長さ三間半の大瓢箪と大盃、山岸の地づき隊、荒井直治工場の宝船と大時計、繊維組合は人間が化けこんだ尉とんぼがパンパン車にのって押し出せば、魚商組合はトラックを巧みに造りこんだ花電車、菓子組合のかぐら舞、古着組合のお嫁入道中、青果物組合の大野菜、食料品組合の大鯛、書籍商組合の漫画祭、理髪結髪組合の七福神、左官大工組合は樽みこしの威勢のよいところをみせれば勝山朝日は目方三十余貫の大活字をかつき出し奈良の大仏名刺用と浮かれだすなど、折柄の快晴に恵まれて万余の観衆を縫って午後六時上袋田商工会事務所前にて次々散会、町をあげての大盛況を呈した。
昭和24年12月20日 福井郷土通信
- 田植 田掻牛
- 五月から六月への変りは郷土の田植盛りでした。田植の早乙女さんたちは唄をうたいながら植え進んでゆきます。写真は後田を掻く牛です。郷里で耕牛をつかうのは富田村、羽生村あたりのみと思いましたのに、はからずも勝山郊外に田掻牛を見つけました。勝山町長淵郊外浄土寺川付近の田植にて
昭和27年8月14日 福井郷土通信
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- 山行き
- 秋十月は観光月─慰安会─秋空の山に或いは茸狩り或いは慰安会、或いは観光バスでの遠乗り、全く人世の快楽をうたう月です…。此処勝山の長山公園は昔、藩公が大砲の武技を講ずる為に開いた台丘です。(中略)
この長山は秋晴れの毎日茸狩り客や工場の慰安会団体の山行きで大繁盛。写真は行楽日の長山公園。幾組かの工場慰安会が開かれた─
昭和32年10月20日 福井郷土通信
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- 年の市
- 勝山伝統の年の市は十二月二十六日と一月二十六日の新旧二回開かれました。この年の市は旧小笠原藩公が前任地武蔵国本場「酉の市」を持つて来たもの、遠近の村人が正月用の買い物に町へ押しかけて朝より夕へかけて押すな押すなの人出です。北谷村小原のまな板、切り板、下駄、鹿谷のゴザ帽子類、串柿、松岡よりの「そうけ、みかん、水仙、たら魚」など雪の中で飛ぶように売れてゆきます。露天商は本町筋一帯に店を張り涸れた声を張り上げています。写真は小原の餅つき臼に集まつた人。
昭和28年2月1日 福井郷土通信
- ─戦ふ郷土の山河─ 林間学校と蝉捕り風景
- 時局下─暑中の各学校では生徒の体位向上、健康増進にと第二国民の身心錬成に全力をあげているが万古ゆるがぬ郷土の霊山、荒島、経ケ嶽の重山の下に展開された丘陵長山公園の林間学校、奇松ならぶ青苔に座した一団の女学生に教ゆる非常時局の心構へ、切々として生徒の胸底をうつ四面より吹きおろす朝山風は青嵐となつて生徒の衣袂をおほつ……その隣には朝蝉の聲がジイツと涼氣をふくんで鳴き出した。どこからか一人の少年が蝉の鳴く大樹にしのびよつてきた(写真は精華女学校生徒の林間教授と蝉捕り)
昭和17年8月21日 福井新聞郷土版
- 秋まつり
- 秋まつりは郷土の各町村で盛大に行われています。中でも奥越秋まつりの大座は勝山神明神社のおまつりです。伝統の御前相撲はかたどおり行われ、覇相撲に対しての「寄り」方には大野、勝山の名ある相撲の強者が立ち向かい、勝相撲には鉄砲を放って祝いました。ただ昔の町人桟敷と士族席の設けがなかつただけで、昔どおりでした。夜の境内は民謡盆おどりで高い土俵を中心にして大きな輪を描き、夜の更けゆくも知らない有様です。露店は本町筋いっぱいに開かれ、近年めずらしい人出でした。
昭和31年9月30日 福井郷土通信
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- 神明祭の賑わい ─御輿奉納─
- 神明神社の秋祭りは例年の通り九月十七日から十八・九の三日間にわたり行われたが今年は十六日に京浜奉賛会(京浜在住の勝山出身者)より御輿の奉納があったため前年に比して非常な賑わいであつた。
昭和十六年十月一日福井新聞郷土版
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